『不易流行と武士道2022』~ヒカリ~

 実は新年早々から長期入院していたため更新ができなかったのだが、この度、無事に退院となったため生存の証としてHPを更新しておきたい。

 あれから中見は音信不通なので、もしかして旅立ったのではないかと危惧されている方もいると聞き、思わず苦笑を浮かべた。なるほど、昨年の『世界がん撲滅サミット2021 in OSAKA』の公開セカンドオピニオンのステージに立った私を見た方々からすれば、さもありなんという状態だったから仕方あるまい。

 何しろ心臓のうち20%しか動いていないのだ。
いつ旅立ってもおかしくはない。

 さて、今回の入院だが、新年早々の検診で腎臓の数値クレアチニンが跳ね上がっていることがわかり、今後、受ける再生シートの手術にも関係があることから長期入院となったのだ。
ところが、その原因がなかなかわからない。医師チームも試行錯誤の結果、ようやく原因らしきことがわかったのは入院後、1週間以上経過してからであった。

 その要因とは、心臓の働きを補助するために服用している薬剤の中に甲状腺に悪い影響を及ぼすものがあり、どうやらこれが原因となって甲状腺→腎臓という関係のなかで数値が跳ね上がったのではないかというのだ。

 そこで薬剤を打ち切り、甲状腺機能を強化する治療に取り組んだところクレアチニンが劇的に下がり、退院の運びとなったわけだ。
 よもや腎臓の数値と甲状腺が関係しているとは思いもよらなかったが、医師チームや看護師の皆さんの努力のお陰で私は今も生きている。

 入院から1週間、原因が判明しない中で、ふと私の脳裏に旧約聖書『イザヤ書』(第53章2~3)の、こんな聖句が想起された。 『見るべき面影はなく
 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを背負い、病を知っている。』
 これは預言者イザヤが救世主イエスの登場を預言した言葉だといわれている。

 だが、今、私はこう考えている。
 たとえ病を得ようが人助けの心を喪ってはならない。

 なぜなら、誰かを助けたいと思うことで人は、誰でも救世主になれると信じているからだ。原因を突き止めて私を救おうと懸命に努力した医師チームや看護師、ヘルパーの皆さんは、私にとっては救世主だ。

 こう考えれば病院の中には救世主予備軍が、かなり存在している。
 毎日、天井を見上げている、あの女の子が将来、小児がんの子供たちのための薬品を開発してくれるかもしれない。

 車いすでぼんやりと移りゆく病院の廊下の光景を眺めている、あの少年が将来、素晴らしい絵を描いて見せてくれるかもしれない。
 弱り切った、あのお年寄りが元気な姿でご自宅に戻った瞬間、周りの人に笑顔が戻るかもしれない。

 ならば、あの子どもたちをがんや病から解放しよう。
 あの、お年寄りたちを元気にして自宅に戻してあげよう。
 小児がんを撲滅し、元気になって社会という家に戻ってもらおう。

 未来の救世主は病院の中にいる!

 これが今の私の心境である。
 イザヤの言葉を掘り下げていけば、誰でも救世主になれるのだ。
 誰かの心に希望のヒカリを灯すだけで良い。

 これを読んでくれている皆さんも救世主になれるのだ。
 そんなものになろうとも思わない。
 そういう人もいるだろう。

 だが、自然災害に遭遇すれば誰だって助け合わなければならない時代が来るのだ。否が応でもだ。
 こういう時代に備えるために、いつでも救世主になる覚悟を持つ。そして次の救世主をつくり出す努力をしておくことだ。

 簡単なことだ。
 人は他者の命に対しても無関心になってはならない。
 どうか病院の近くを通りかかったなら、誰かわからない患者のために全快を祈っていただきたい。その瞬間、あなた自身の心にヒカリは訪れ、生きる勇気が湧いてくるだろう。

 やがてそのヒカリは患者の皆さんに、医療者の皆さんに届くに違いない。
 患者の皆さん、皆さんを救い出す、そのヒカリはこれから周囲にいくつもいくつも灯り始めるだろう。

 ヒカリは、いつもそこにある!

 私はこのようにして自分を鼓舞して今回の入院を乗り切った次第である。

 皆さんのご健康とご活躍を心よりお祈り申し上げます。
 皆さん、どうぞご自愛ください。

中見利男拝

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