『不易流行と武士道2024』~ゼロが動き出す!~

この度の能登半島地震によってお亡くなりになった皆様、ご家族の皆様、被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。また復旧、復興に向けて日々努力されておられる皆様に心より敬意を表させて頂きます。

さて、原作者とテレビ局、脚本家の方々の一件が社会問題となっているが、大事な命が失われたことは本当に無念であり、残念なことだ。

私の作品もかつて映画化やテレビ化の話が舞い込んできたことがあるが、私自身映像や脚本、キャストに監修として参画させていただく事になるが、それで大丈夫かと確認したところ映像担当者が自由に撮らせて欲しいという要望を譲らないのでなんとか了承をお願いできないかと制作会社から頼まれた事を思い出した。

私はそれぞれプロだから皆さんの考えが融合していけば、やがて違う作品が世に出る事になるので、それならば今回はご遠慮申し上げると断ったのだ。
しかも私の作品には映像困難なシーンが仕掛けられており、これは物書きとしていわば映像へのささやかな抵抗だったため第三者に任せた途端、予算面でもカットしてくることが目に見えたからでもある。

今回、原作者の方は心と技術によってゼロに揺さぶりを掛けて微妙な振動を与えることで現実に向けて動かして見せたのであって、だからこそ原作漫画が世に出されたのではないかと思う。
その際、忘れてはならないのは、原作者は身を削ぎ落とすような苦悩の中からゼロを1に向けて動かしたのだ。それは想像を絶するほどの苦しくも充実した作業だったに違いない。

私自身1600枚に及ぶ長編を生み出すときには書いている途中で下手をすればこれは死ぬな……と実際、何度も思ったことがある。
作家や漫画家の方ならこの表現が決して大袈裟ではない事をご理解いただけるだろう。

実際、私はこの長編を書き上げた後、入院を余儀なくされたのだが、それほど命を削る思いで皆さん夜な夜なゼロを1に向けて動かしているのである。

テレビ局や脚本家の方にはそれぞれプロとしてのプライドもあり、自分達がこの原作をさらに面白くして見せるという気概を抱く事は私も承知している。

しかし大元を生み出した原作者に対する敬意を払わなければ、それは単にゼロから生まれた1を映像によって簒奪したに過ぎないという事だ。

この国の著作権は物心両面において軽視されすぎている。

原作者は出版社が盾になることがあるとはいえ、いわば一匹狼だ。
テレビ局やそこに関わる人々はいわば巨大なチームなのである。
一匹狼がこうした人々と渡り合うためには弁護士を代理人にする以外に対抗策はあるまい。

しかし自分の作品を映像化してくれるという人々は決して敵ではないからそういう手法を採る原作者はほとんどいないだろう。
特に日本では。

であるならば映像化を試みる人々はゼロから1を生み出した最初の創造者に対して原作と映像の両立や融合を実現させて見せる力量がなければならないのだ。
力量もないのにメディアミックスだから映像化してあげますよ、というのは筋違いであり、テレビ局や脚本家が原作者に謝罪しなければならないのは自分達の力量不足、それ自体ではないだろうか。

力量を超えた事にチャレンジする際、妙なプライドはいらない。
必要なのは徹底的に原作者の要望を聞き入れて原作者が唸るほどの作品にして見せるスキームそのものなのだ。

安易に原作者や原作を下敷きにしてはならない。

私が常に主張するのは、巧詐は拙誠に如かずという事だ。
テクニックだけではなく誠心誠意やらねば、いつかその人は破綻するのである。

日本に生きる全ての人に、この言葉をもう一度思い出して欲しい。

失われた命は戻らない。

しかし今回の関係者の皆さん。あなたたちには原作者が訴えていたであろう誠心誠意の心を取り戻す事に意味がある。

あえて言おう。ゼロから1を生み出した人々を評価できない国は、やがて滅びに至るのだ。

なぜなら良いものは真似をすれば手に入るし、その方が産みの苦しみを味わう事なく栄達を手に入れることができると考える人々で溢れ返り、やがては物事を創造したりゼロから1を生み出そうという人々が少数派に追いやられるからだ。
そんな国が世界をリードできるわけがないのである。

以上、感じた事を率直に記した。

原作者の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
そしてゼロから1を生み出したあなたは誰よりも尊いとお伝えしたい。

ご多忙と存じます、どうぞご自愛ください。

中見利男拝

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