『不易流行と武士道2021~追伸・がん撲滅サミット2016を振り返る!~

師走の候、益々ご活躍のことと存じます。
 さて、本日はがん撲滅サミット批判、がん撲滅サミット怪しいなどの関連キーワードに対して、疑問をお持ちになった方々から事務局に、がん撲滅サミット2016に関するご質問がありましたので、それに関するお手紙を差し上げます。

 おかげ様で『世界がん撲滅サミット2021 in OSAKA』も成功裏に終わり、来年に向けて準備が開始された。

 先般、事務局に「このような素晴らしいサミットが、なぜ2016年問題を未だに指摘されるのか?」「怪しいのはむしろ標準治療絶対主義のグループの方ではないのですか?エビデンスしか主張できない彼らこそ批判されるべきでしょう。もう少し反論をされてはどうですか?」というご質問やアドバイスを複数いただいたので、少しだけ触れておこう。

 2016年10月22日に開催されたがん撲滅サミット2016は、ある学会と共催であり、そもそもは、その学会の方から前年に行われた第1回がん撲滅サミットが素晴らしいので共催でできないだろうか、とのご提案があったことからスタートした。

 場所はパシフィコ横浜である。
 しかも数千人が入る大ホールで開催するという。

 もともと私は共催ではなく独立した形での開催を考えていたが、少しでも医療者や患者の皆さんのためになるのならとお引き受けした次第である。

 そういう流れだから、がん撲滅サミット2016も当然、第1回目の方法を受け継いだものになる。

 そもそも第1回目に行われた初の公開セカンドオピニオンで大活躍したのが三好立先生の低用量抗がん剤治療(当時はまだ少量抗がん剤治療と呼んでいた)であった。

 中には三好先生の真摯なご回答に涙を流して感激される老夫婦の方の姿が未だに思い出されるほどだ。そうであれば、当然2回目の大会にもご登壇いただくことになるのは当然の流れだ。そこに必要としている患者の方々がいるからだ。

 なぜなら手立てのないがん患者、全がん種が我々の対象でもあった。この方々に少しでも希望の光を見せてあげたい。いや、見てもらうべきだとの思いを強くした我々は、もうお一方、堀信一先生というがん細胞のみを兵糧攻めにする動注塞栓術と呼ばれる治療法のスペシャリストにお声がけをさせていただいて、万全に近い体制を整えたはずだった。

 ところが、10月に入って間もなく、ある患者会の代表者からエビデンスがない治療法で、しかもクリニックの医師が、とある学会の市民講座に登壇するのはケシカランというクレームを受けたのだ。いや、クレームどころか、抗議そのものであった。

 我々としてはすい臓がんなどの難治性がん患者や、希少がんの患者、がん難民の方々にはこうした治療法も重要だとの思いもあり、ご登壇をお願いしていたのだが、思わぬ方向――すなわちがん患者の会からクレームが入るとは予想もしなかった。

 なぜなら、当時の私は性善説を採っていたからだ。

 ところが、あっという間にメディアスクラムが組まれ、毎日新聞、朝日新聞などの大手メディアが次々とその患者会代表の言い分だけを取り上げ、その他の難治性がんの方々や三好立先生、堀信一先生にウラ取材もせず、一方的論調で記事を掲載していったのだ。

 もちろんこうした記事はネット配信されていくため、瞬く間に全国にがん撲滅サミット2016騒動が広がっていったという次第だ。

 ところが、これに乗じる形で、当の学会のメンバー40数名が共催を中止するよう署名運動を開始し、中には読売新聞に連載している自身の執筆欄で低用量抗がん剤治療は自由診療だと断定する記事まで掲載した。さらには読売新聞の社会面(4コマ漫画の反対側のページ)にまで我々の記事が掲載されるに及んで、騒動は日増しに強くなっていった。

 おまけに読売新聞の系列局である日本テレビの女性記者(独立して現在はフリーとなっている)から厚労省の後援担当者に「がん撲滅サミット2016の後援を厚労省は取り下げないのか!?」というクレームのような連絡が入るに及んで、私は思った。

 本来、報道に携わる者こそ集会の自由、言論の自由を守るべき立場だが、真逆の行動をとるとは何事か!?

 しかも前述の医師たちは集めた署名を横浜市にまで「後援を取り下げよ」と送り付けてきたのだ。幸い横浜市の担当者は「集会の自由を脅かす行為には断じて与するつもりはありませんからね」と不変の協力体制を約束してくれた。

 一体どうなっているのか?この狂騒曲めいた騒ぎは。私は以下のことを想定するよりほかなかった。それは……。

「がん撲滅」を目指してもらっては困る勢力がいる!?
低用量抗がん剤治療などの代替療法を潰したい勢力がいる。
大きなバックが存在している。
彼らは鉄のトライアングルで患者会、医師、メディア関係者をネットワークしている!?
 こうしたことに思い当たったのだ。

 なぜなら、その後、患者会、医師、メディア関係者のなかで急先鋒になって動いた人々ととあるナショナルフラッグの組織の長とが様々な形でSNSやイベントでつながっているのを知ったからである。

 おまけに、まるで我々に敵意をむき出すかのように、とある学会の幹部が理事会で投票をしたうえで、共催を中止するかどうかを決めるという話まで流れてきた。

 ところが、こうした一連の騒ぎに常識と良識ある前述の2人の名医は、すでに当日患者の皆さんにストレスや不安を与えたくないという理由から辞退を私に申し入れており、私も今回は一度退却した方がクリニックにも大きな打撃を与えずとも済むという判断で、これを受け入れた。

 そして、とある学会の幹部にもがん撲滅サミット2016の大会長と、その学会の大会長を通じて投票が始まる前に早々に登壇の取りやめについて報告を行っていたのである。

 にもかかわらず幹部は投票を遂行した。幸い投票結果は、共催は中止せず、公開セカンドオピニオンの形態を変えて実施するというものになったということだった。

 だが、その幹部は勝手に声明を学会のHPにアップし、一方的にこちらが悪のような立場でがん撲滅サミット2016を指弾したのである。

 これが共催相手への対応なのか、とさすがに私もあきれ返ったが、大きな組織の幹部を務めるということはそういう非情さも持ち合わせておかなければならないのだろう、と自らに言い聞かせた。

 しかしながら当初掲載された毎日新聞の登壇者を選んだのは弁護士という記事や、読売新聞の低用量抗がん剤は自由診療といった誤った記事が独り歩きを始めるに及んで何か手を打たねばならない、という気持ちの方が強くなっていった。

 なぜなら、ねつ造をしてまで騒ぎを大きくしたい人々がいることは確かだったからだ。

 ところが、その騒動のなかで当時クレームを入れた例の患者会の代表のところにも反発した方々から抗議のSNSが届くようになったため、その代表者は慌てて我々の共催団体、すなわち、とある学会の幹部の下に駆け込み、その幹部と握手している写真をSNSに掲載していたのである。

 そして、その仲介をしたのが、別の患者会Aの方であり、調べてみるとその幹部はAの顧問だったのである。つまりAと、その幹部は一体だったのだ。

 おまけに抗議をしてきた患者会の代表と、Aの代表ともSNSでつながっていることもわかった(ちなみに、この幹部に関して言えば、人格高潔で知られる高名な医師の方はお亡くなりになるまで、この人物を評価していなかった)。

 つまり、すべてが一本の線でつながっていたのだ。誰かがシナリオを描き、それがほぼ完璧に実行されていたのだ。

 私の新たな戦いは、このときから始まった。
反省すべきは反省だ!
しかし最初からシナリオを描いてがん撲滅サミット2016を打倒するために彼らが総攻撃を仕掛けてきたのなら、こちらもそれにふさわしい方法を用意し、対応するしかない。

 敵はがん細胞だけではない。
 その周辺に宿った利権構造こそが、まず最初の相手なのだと。
 そして、この日から私はペンを剣に持ち替える覚悟を決めたのだ。

 以来、私は危機管理チームを組み、あらゆるネットワークに関して調査を開始した。
 そして彼らがそこにグループを形成しており、その具体的メンバーの名前も入手することができた。
 同時に、2人の医師が登壇を止めたあとの第3回、第4回、そして第7回となる先般のサミットにも彼らの嫌がらせや誹謗中傷は続いたのである。

 つまり連中の敵は、実は2人の医師ではなく、我々こそがターゲットだったのだ。
(おかげ様で2016年の騒動が起こっても後援団体や協賛団体は一歩も引くことなく、応援を続けていただいた。)

 そのうえで私はがん撲滅サミット2016終了後から、すぐに毎日新聞、朝日新聞、読売新聞など誤報をねつ造した大手新聞社に事情を説明しに伺った。

 特にねつ造記事を掲載した読売新聞の担当部長とお会いした際は、彼らもその事実を知らなかったため、部長は両手をついて私に頭を下げた後、その医師を出禁処分にしている。(さらに今年はわざわざサミットの会場に足を運んでいただき開催前と開催後に記事を掲載いただいた。読売新聞の良識ある行動に、ここに改めて深謝したい。)

 これが、がん撲滅サミット2016の真相だ。ちなみに、その医師とはSNSで著名な人物だ。医師も、例の報道キャスターも、とある学会の幹部も半ば公人なので名前を挙げても良いのだが、私にも武士の情けはある。

 がんを撲滅されては困る。
 新しい治療法が誕生しては困る。ひいては日本のがん医療が進んでもらっては困る。

 皆さんが、もしがん医療の世界がおかしいと思うのであれば、我々の身に起こった騒動を知っておかれることもまた重要だろう。そして、その目でしっかりと現実を直視することだ。そのうえで良き医師に巡り合うこと。

 たとえば免疫はインチキだというのであれば、その医師に免疫学の論文は何本ほどお書きになっているのですか?その根拠は、と聞いてみることだ。

 怖くて聞けない。
 そう思うなら、あなたはすでに医師の単なる僕でしかない。自分の人生や魂まで医師に預けたということだ。運命を共にするしかあるまい。

 だが、立ち上がろう、生きる可能性に賭けてみようと思うなら、医師と平等、もしくは医師に遠慮なく尋ねることのできる関係を築き上げることだろう。

 「もし、がん撲滅サミット2016が、あのとき倒されていたなら、今頃、日本の新しい治療法や態勢は一向に進まぬまま現在に至っているに違いないですよ」
著名な医師の方からそのように仰っていただくことが先日もあった。

 付言すれば、あの三好立医師の低用量抗がん剤治療について米国は、すでに検討に入るよう動き始めている。
 つまり三好立医師は日本が世界に誇るトップランナーの1人だったのである。

 『がん撲滅サミット2016は間違っていなかったのです。三好先生も、堀先生も世界的な先駆者だったのです。私は応援しています』

 先日の『世界がん撲滅サミット2021 in OSAKA』に参加してくれた患者の方からいただいたメールだ。この方はどうやらがん撲滅サミット2016の会場にも足を運んでくれていたようだ。

 その証拠に「私もあのとき、インチキな医療を紹介するサミットはケシカラン!どういう人間が実施しているのか見ておこう」という怒りで足を運んでみたと記載されていたのである。それで良いと思う。

 我々が怪しい。批判されるべきだと思うなら、実際に足を運んでエビデンスにしてみると良い。どれだけのがん患者の方々が悩み、困っているのかをあなたも目の当たりにするだろう。

 それでもエビデンスは重要だ!第3相試験を経てないものはすべてエビデンスがないのだ!あなたが、そう思うなら連中と同じように難治性がんや希少がんの方々にもそう迫ってみると良い。

 しかし国は第1相、第2相で安全性や効果が認められれば条件付きで承認する方向をすでに打ち出しているのだ。
 時代は変わり始めたのだ。私は連中のことを堂々と抵抗勢力と呼ぶことにしよう。がん撲滅を願う、すべてのがん患者への抵抗勢力だ。

 最後にもう一人、当日サミットに参加された患者の方から届いたメールをご紹介しておこう。

 『今回、万が一(肺がん、または肺への転移)を考えてサミット当日、執念を抱いてご質問させていただきましたが、この公開セカンドオピニオンがタイミング良かったことになりそうです。

 佐野先生の手術にトライする条件、
 山上先生の「積極的な抗がん剤治療で長く元気で過ごされている方が多い…」のお言葉
 以上、胸に留めながら(できれば…積極的な)治療を選択していきたいと思います。

 本当にありがとうございました。

 2022年のサミットにも、是非参加したいと思っています。
 そのためには治療を頑張るつもりです。

 サミット事務局の皆様方、先生方、中見様。
 皆様方のご活躍を祈念いたしております。
 ありがとうございました。』

 人間は時に戦うことを恐れてはならない。
 戦い抜いた者だけに、聖域の花は微笑む。

 それを人は蓮の花と呼ぶ。
 真の聖域の花は、泥の中から咲くのである。
 皆さん、良い2022年をお迎えください。

 追伸 なお、お断りしておくが私の進めるがん医療改革は上記の事情を前提にしてはいるが決して個人的なリベンジではない。

 国民病になるまで標準治療が最善、最高などと吹聴するだけで希少がん、難治性がん、小児がんを放置して来たこの国の実態を直視し、がん撲滅サミット2016を通じて鉄壁のトライアングルを見つけ出した私自身の、まさにがん医療を通じた世直しなのである。

中見利男拝

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