源平の合戦で入水自殺した安徳天皇は、実は三種神器とともに鹿児島県硫黄島へ平家の重臣に守られながら逃げ延びていた!!
お陰様で宝島社より刊行されたばかりの別冊宝島『偽天皇事件に秘められた日本史の謎』が好調です。
この本は南北朝の戦い以降、未だに尾を引いている南朝の御落胤が戦前、戦後に登場し、「朕は天皇なり」と自称。世間を騒がした一連の偽天皇事件の詳細をご紹介したもので、取材の結果、上記の安徳天皇の西朝説以外にも岡山県の美作にも南朝があり、後醍醐天皇の末裔が逃れていたという秘史さえ明らかにしたものです。
たしかに日本に二人の天皇がいた時代があったことは否定できない事実であり、そこには秘められた歴史が横たわっているのです。なぜ彼らは自称天皇を主張したのか? その根拠は? すでにこうした自称天皇のことを熟知しておられる方にも今一度、手に取ってお読みいただきたいと思います。まさにもう一つの南北朝史の残像が鮮明にあらわれてくるはずです。
最近でも偽皇族を主張して詐欺事件を巻き起こした人物もいますが、本書はそうした人々に魅了され、痛い目に遭わないでいただきたいという警鐘の一冊として刊行されたものです。
是非ご一読を。
さて、本物と偽物の違いとは何かについて今回は明らかにしていきたい。
それを一言でいうなら偽物は地位を求め、本物は位置を求めるということである。野心にあふれることは、それはそれで素晴らしいことだが、ただ単に地位に憧れ、そのことに執着すれば物事の運びが拙速になり、いつしか『巧詐は拙誠に如かず』、つまり口先だけでうまく対応しようとすれば、いつの間にかパフォーマンスが下手でもコツコツと努力している人に敗れ去るという状況が訪れるものなのである。
たとえば、武士道は目先の地位を求める人間よりも、たとえ派手さはなくとも自分の立ち位置を知る人のことを『出処進退を知る人物』として高く評価してきたものだ。とりわけ偽天皇と本物の天皇の違いもまた前者は地位を求め、後者は日本人の霊的、精神的中心に立つという、まさに位置を求めたために圧倒的な違いが生じたのである。
それは幕末のラストサムライ――新撰組の土方歳三を見ても明らかである。発足当初の近藤勇や土方をはじめとするメンバーは新撰組内における地位を求めるあまり内紛を繰り返し、清河八郎や芹沢鴨といったリーダーを抹殺してきたが、倒幕派との戦いで追い込まれていくうちに、いつしか大事なことは地位ではなく位置なのだと知り、最終的には薩長新政府に敗れはしたものの、歴史に名を刻むことができたのである。
たとえば前述の土方歳三は新撰組の副長として局長の近藤勇を支え、幕府が衰退化する中、次々と仲間が死んでいったにもかかわらず、北海道にまで退却し、そこで当時の箱館(函館)に独立共和国を建国しようとした人物である。このとき敗戦の足音が近づいているのを知り、死を覚悟した彼が下した一つの決断は、のちのち新撰組の名前を歴史に刻み込むことになったのである。
それが次のエピソードだ。
明治二年(1869)5月、土方部隊の奮闘をよそに箱館政府軍は北海道の松前、木古内で敗退し、新政府軍の迎撃を許してしまった。そのため二股口にいた土方部隊は補給路を断たれる危険性が増したため、五稜郭の榎本武揚は即時撤退を命じ、土方歳三は不敗のまま陣営を捨て去ることになった。そして新政府軍の追撃を阻止するため、土方は台場山の方々に地雷を埋めて退却し、5月1日に箱館にある五稜郭の本営に戻った。
このとき戦闘の報告を終えた土方歳三に対して、当時、箱館政府の総裁だった榎本武揚は次のように切り出した。
「箱館政府の軍資金がとうとう底を尽いてしまった。閣僚たちと相談したが、止むを得ず箱館市中の豪商たちから金品を強制的に徴収することになったが、土方君、賛成してくれるな?」
土方はしばらく沈黙していたが、やがてはっきりとした口調でこう答えたのだ。
「われわれの軍状はすでに敗色濃厚である。たとえ、幾ばくかの軍資金を得たとしても、ただ一時を凌ぐに過ぎない。それでなくとも賊軍扱いされているのだ。このうえ無謀なことをして、なおわが軍の名を辱めることは深く慎まなければならぬ」
敢然と異を唱える土方歳三の迫力に押され、言葉を失った榎本武揚は深く反省し、結局強制徴収は行われずに済んだのだ。
やがて、この話は箱館市中に広まり、市民の心は土方を敬慕する方向に向かったという。彼らは土方の言葉で思い出したのだ。それは自分たちが地位を求めて立ち上がったのではなく、そもそも幕府や住民を守るために立ち上がったのだという初心であった。逆に言えば、危うく偽物に落ちかけた彼らを救ったのが土方歳三の、この言葉なのである。
つまり外国になくて日本に存在するもの、それが武士道の出処進退の思想なのである。これを知っておけば、偽物に振り回されたり、騙されることはあるまい。何しろ彼らは、ともかくも目先の地位を欲しがるだけなのだから。
筆者が土方の言葉をあえてご紹介したのも、こうした土方歳三のような考え方を以って事に処した人たちが、かつて日本にいたことを思い出していただきたかったのである。
天候不順の折、皆様にはお体どうぞご自愛のほどを。
中見利男拝