あけましておめでとうございます。
2022年が皆様にとって素晴らしい年となりますよう心よりお祈り申し上げます。
本日は新年をお祝しつつ、お手紙をお届けいたします。
昨年開催された『世界がん撲滅サミット2021 in OSAKA』は人との出会いが印象に残る大会であった。
特に自分の体力を維持するのが精いっぱいだった私にエネルギーを蘇らせてくださる人々が大勢お会いに来てくれたことは感謝の言葉もないほどだ。その方々に共通しているのは、皆さん何かにチャレンジを行っているということだ。その方々に私は次の言葉を贈りたい。
それは『可能性は不可能から生まれるのだ』という言葉だ。
不可能は可能を生み出す母なのだ、という意味である。
不可能だから止めるのではなく、不可能に挑むから困難が生まれ、それでも執念を貫いていると、やがて困難が可能に変わるのだ。
それを信じて戦ってみるか、それとも諦めてしまうか。二つに一つだ。
だが、もしそれが天命なら一度諦めても、また引き戻されるものでもある。
当時、私はサミットの前に緊急入院していた。何人かの医師は私に「12月5日、大阪に行くのは無謀です。絶対に行かせることはできません」と主張する中、別の科の主治医は「大阪へ出かけていただけるよう調整を続けてきましたが、正直、今の状況ではきついのはきついです。戻ってこられたら、すぐに入院ということでどうでしょうか?」と折衷案を出してくれた。
つまり私は多くの医師から説得を受け、自分の生きざまについて繰り返し主張するという、いわゆる堂々巡りを行っていたのである。
部屋にはもう一方、別の患者の方がおられて、いつも看護師の方に静かに御礼を伝える紳士で、私はベッドに横になりながら「こういう人を本当に勇気がある人というのだろう」などと考えていたものだ。
すると突然、その方がカーテン越しに話しかけてきたのだ。
「中見さん、今、医師とのやり取りがたまたま聞こえてきました。いえ、前から聞こえてきてたので、私もスマホで見ましたら12月5日は大事な大きな大会があるんですね。正直、私は中見さんが大阪に行こうとされているのを聞いて無謀だなと呆れています。でも実をいうと、私は直腸がんのサバイバーで、お隣にいておわかりのように人工肛門なんです。その立場からお話をしてもいいですか?」 「……どうぞ。確かに無謀のようですが、私には迷いはありません」
「迷うどころか大阪に行っていただきたいです。私もがんは撲滅してほしいんです。一朝一夕ではないと思いますけど、そういうことを目指している人が命を懸けて大阪に行くということが、どんなに大事なことか。中見さん、世の中には不思議なことがありますよ。人間の体は歯車じゃないです。だから、それでもお気をつけになって皆さんをその体で励ましてあげてほしいです」
私は、その言葉を聞いた途端、ナースコールを探して主治医を呼んでもらうと、大阪行きと退院手続きに至急入ってもらうことを要請していたのを昨日のことのように思い出す。
結果は車いすを使わず2時間立ちっぱなしで公開セカンドオピニオンの進行を無事務めさせていただいた。どころか瀕死の状況だった私の体力もサミット終了後に少しずつだが元気を取り戻していったのだ。
人間の体は歯車で動いているのではない。
あのとき私は、至極当たり前のことを当たり前のように聞いた。
だが、あの言葉こそが私のエネルギーを呼び覚ましてくれたのかもしれない。
この世は言葉であふれている。
多くの企業のトップが力を失い、企業からも社員からも元気が失われつつある現在。私はこう言うだろう。
肩書を捨てて通りに出でよ!
リモートでも構わない。
そして弱っている人々や困っている人たちの声に耳を傾けよ!
経営者は人に関する経費を人件費などと呼ばぬ方が良い。あえて呼ぶならマンパワー費だろう。
貴社のマンパワー費が低いということは、それだけマンパワーを落としているということだ。むしろ恥の文化を持つことが大事なのではないか!? と。
新型コロナウイルスとの共存を目指しつつ、出来るだけの注意を払って予防策を講じたうえで、肩書や権威を捨てて街へ出よ。
新しい資本主義とは与えられるものではない。自分が新しくなることを言うのである。
人間は歯車で動いているのではない。経営者が、そのことを思い出せば、新しいチャレンジもきっとうまくいくだろう。2番手を走っていれば、それでよいという時代は終わった。
要はそれが世の中にとって必要かどうかが分かれ道となるのだ。
自己栄達や自己利益、権力欲など昔から人は欲望を武器にして戦ってきた歴史があるが、これからはそれが天命に適っているかどうか。世の中が必要としているかどうかが分かれ道となるだろう。
挫折にも神がいるとすれば、挫折の神はそんなに甘くはない。
もしかすると、あの人のあの言葉がなければ、私は昨年のサミットも病院で過ごしていただろう。
不可能にこそ次のチャンスはある。
不可能に挑み、やがてこれを可能に変えて見せる!
まずはこの執念を抱くことから始めてみようではないか。
皆さん、どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
中見利男拝